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大阪高等裁判所 昭和56年(ラ)340号 決定

抗告人 井村勝郎 外一名

相手方 医療法人財団姫路聖マリア会

主文

原決定を取消す。

本件を神戸地方裁判所姫路支部に差戻す。

理由

一  本件抗告の趣旨及び理由は別紙記載のとおりである。

二  当裁判所の判断

記録によれば、井村芳子(昭和二二年一一月二八日生、昭和五三年九月二五日死亡、以下、「芳子」という。)は、昭和五三年八月八日ころより下腹部の痛みを伴う下痢症状があつたので、同月九日相手方の経営する姫路聖マリア病院(以下、「相手方病院」という。)において菅原保二医師の診療を受け薬の投与を受けたが、右下痢症状は完治しなかつた。そこで、同月二一日再度同医師の診療を受け、その後同病院において種々検査を行つた結果、同月三一日回盲部に多発性ポリープのあることが発見され、病名は大腸ポリープと診断された。芳子は、同年九月一日右患部の切除手術を受けるべく入院し、同月七日菅原医師によつて回盲部切除手術を受けたが、手術後の経過不良で左下腹部の癒着により急性腸閉塞症となつたので、同月一〇日同医師によつて再度回盲部切除手術を受けた。しかし、右手術後も症状は全く好転せず、次第に体力が衷えて同月二五日死亡した。抗告人井村勝郎は芳子の夫であり、抗告人阿山広子は芳子の母であるが、相手方病院、特に治療にあたつた菅原医師の処置に疑惑を抱き、神戸地方裁判所姫路支部に対し、起訴前の証拠保全として同病院保管にかかる芳子の診断、手術、治療の過程において作成された診療録(カルテ)、手術経過簿、看護日誌、検査結果表等治療経過にかかわる一切の書類の検証を申立てた(同裁判所昭和五四年(モ)第四五二号)。同裁判所は、昭和五四年七月五日付決定をもつて右申立を認容し、検証期日を同月一九日午後一時と指定したところ、相手方は、右検証期日に検証の目的とされた書類を任意提出したので、それらの書類の検証が実施された。右検証の目的とされた書類は、入院保証書、誓約書、死亡診断書、診療録、右芳子が入院した九月一日から死亡の日までのDOCTOR′S ORDER SHEET、各検査結果表、九月一〇日の再手術の手術所見及び手術術式を記載した書面、各手術の際の術前チエツクカード、術中患者看護記録、麻酔記録用紙、Electrocrdiogram RePort、右入院の日から死亡の日までのCLINICAL RECORD、TRANSFUSION RECORD等であるが、右書類中には九月七日の第一回目の手術所見及び手術術式を記載した書面はなく、また、診療録中には右手術をした九日七日から死亡の日までの分として、九月七日付で「回盲部切除術、端々吻合」、九月二五日付で「午前四時四五分死亡」と英語で記載されているだけで、その間の症状等の記載は全くなされていない。以上の事実を認めることができる。

右事実によれば、抗告人らが提出命令及び検証を求めている文書のうち、DOCTOR′S ORDER SHEETは相手方より任意提出されて検証されたが、その余の文書は提出されなかつたことが明らかである。

ところで、文書提出の申立にあたつては、当該文書の存在することは申立人において立証すべき事項であるから、それが作成されかつ現に相手方によつて所持されている事実が立証できないときは、その文書提出の申立は却下を免れないものである。

しかしながら、医師法は、医師に対し診療に関する事項を遅滞なく診療録に記載すべき旨及び診療をした医師の勤務する病院の管理者に対し診療録を五年間保存すべき旨義務づけており(同法二四条一、二項)、右義務に違反した者に対しては五〇〇〇円以下の罰金を科する旨定めている(同法三三条)から、診療にあたつた医師は診療後遅滞なく診療に関する事項を診療録に記載し、その診療録は少くとも五年間は保存されているはずである。

したがつて、医師法の定める保存期間内の診療録については、当然それが作成されかつ保存されているものとみなし、特にこれが滅失したと認められないかぎり、文書提出命令を発するのが相当であると解する。

しかるに、原裁判所が、昭和五三年九月七日から同月二五日までの芳子の主要症状を記載した診療録及び同月七日の第一回目の手術所見、手術術式を記載した書面が前記検証の際に相手方より提出されなかつた理由について審理することなく、右文書等の存在については申立人である抗告人らにおいて立証すべき事項であるとの見解のもとに、右文書等の存在することを認めるべき疎明はないとして、抗告人らの申立を却下したのは失当である。

よつて、本件抗告は理由があるので原決定を取消すこととし、本件においては右文書等が提出されなかつた理由につき相手方を審尋する等更に審理を尽させる必要があるので、本件を原裁判所に差戻すこととし、民訴法四一四条、三八九条により主文のとおり決定する。

(裁判官 小西勝 大須賀欣一 吉岡浩)

(別紙)

抗告の趣旨

一、原決定を取消す。

二、本件を神戸地方裁判所姫路支部に差戻す。

との裁判を求める。

抗告の理由

一、原決定が抗告人らの申立を却下したのは、要するに昭和五四年七月一九日になされた証拠保全手続(以下、前証拠保全という)の際、相手方より目的物の任意提出がなされたのであるから、それ以外に抗告人らが提示命令及び検証を求める目的物が存在するものとは認め難いという理由からのようである。つまり原決定は、前証拠保全の際、相手方が任意に診療録等を提出したことをもつて相手方を全面的に信頼し得ると判断し、抗告人らが提出した疑問を完全に無視している。

二、抗告人らが前証拠保全が行なわれておりながら、あえて再度の申立をしたにはそれ相応の理由がある。

証拠保全申立書中「検証の目的物の表示」第一項及び第三項記載の目的物(なお同第二項記載の目的物は前証拠保全で検証済みであつた)は共に昭和五三年九月七日から同月二五日(なお証拠保全申立書に昭和五二年とあるのは誤りで五三年に訂正する)の間の井村芳子(以下、芳子という)の手術内容・症状経過を記載した書面である。

九月七日は芳子に対する第一回手術が施行された日であり、九月二五日は同人が死亡した日である。阿山広子作成の報告書で明らかな如く、芳子は第一回目の手術以降容態が悪化し、九月一〇日の第二回手術も効なく死亡に至つたのである。

その間の相手方の芳子に対する措置の適不適はともかくとして、担当医であつた菅原保二医師が芳子の容態を懸念し、その回復に努めたことはまちがいないであろう。

その場合、同医師は刻々と変化する芳子の症状を問診・触診等を通して医師の目で観察し記録したはずである。いかに諸検査記録あるいは病棟看護婦の作成した看護記録が存在しようとも、検査記録は症状の一側面を明らかにするにすぎず、また看護記録は医学の専門知識をもたぬ看護婦が専ら入院患者に対する適切な看護を目的として、作成するものである以上、医師の参考にはなり得ても、全面的な信頼をおける記録ではあり得ない。なんとしても担当医師自身が診療内容を記録し、かつこれを参照しつつ治療方針を決定することが、特に症状の急変をきたしている時期には不可欠であることは明らかである。だからこそ、医師法二四条は医師に対し、診療に関する事項を診療録に記載するよう義務付けているのである。

原判決が言うように前証拠保全で、診療録のすべてが相手方から提出されているのだとするなら、菅原医師は九月七日から二五日までの間、自分で何らの記録もとらないまま、注射・投薬等の治療を指示していたこととなる。同医師が、芳子一人の治療に終始かかりきりであれば、記録をとらずに治療を行なうこともあるいは可能かも知れぬが、他の患者の治療も担当しながら、記録もなしになぜ適切な治療ができるのであろうか。

三、九月七日の第一回手術の記録が診療録中に存しないのも疑問である。九月一〇日の第二回手術については診療録中に手術所見、術式の記載があるが、第一回手術については、診療録中、「既応症、原因、主要症状等」欄「回盲部切除術・端々吻合」(翻訳)との記載があるに留まる。

第一回手術も開腹手術であり、決して軽微な手術ではない以上、たとえ簡単なメモ書き程度であつても腹腔内の状況等を記録しておくのが当然であろう。しかるにこれも存在しない。

四、以上述べたように、抗告人らは単に、診療録の記載が毎日行なわれていないとか、記載が簡単であるとかいう外形的事実のみによつて再度の証拠保全を申立てたのではない。芳子の症状経過から考え、医師であれば最も注意を払い慎重な治療を行なわねばならない時期の記録が脱落していることを重視しているのである。

相手方が刻々と症状の悪化する芳子を放置して死に至らしめたのであればともかく、治療の当不当はともかくまがりなりにも医療機関として芳子に対する治療を死亡に至るまで行なつたのであれば、証拠保全申立書中検証の目的物の表示第一項及び第三項記載の書面は当然存在しなければならない。

原決定はかかる抗告人らの疑問に何ら答えることなく、相手方が前証拠保全において診療録等を任意提出したとの一事をもつて、再度、抗告人らが証拠保全を求めた目的物は存在するとは認められないと判断したのであり、もとより不当である。

よつて、本抗告を申立てた次第である。

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